小さい頃から辛いことがあると考えていました
「わたしは何のためにうまれてきたのか…」
「なぜ、こんな想いをしなければ…」
みなさんはそんな言葉を心で声にしたことはありませんか?
久々の投稿になってしまいましたが、とりとめも無い内容になってしまうかもしれません。
でも、ただ書き残したいという自然な欲求から書かせて頂きます。
何だか重たい話だな、とか 暗いな、とか感じる方もいらっしゃると思いますが、人は誰でも他人には分からない悩みや苦しみを経験して生きているのと思います。
他人からしたらどんなに小さく些細に思えることでも、どんなに大きく重大なことでもそれを比べることはできません。
私はROOTS YOGA KAMAKURAという名前で鎌倉で小さなヨガの教室を開いています。
そこに居る自分はヨガインストラクターminaとしてではなく毎回のクラスで「弥名子」という一人の人間としてみなさんと向き合っています。
もちろん私にも通って下さるみなさまにも様々な顔があります。
仕事、家族、健康、趣味、、そのどれもが違う顔であって良いしそのどれもが自分自身なのです。
ヨガ、と聞くとみなさんは肉体的なからだの柔軟性や筋力、ポーズなどの事を思い浮かべる方が殆どだと思います。わたしも最初は同じでした。
しかし、学び実践し伝えるという繰り返しの中で気づいた事があります。
大切なのはその結果(例えば身体の柔軟性や筋力の変化)ではなく、行為そのものに意味があるのだと。
結果はあくまでも副産物。
「難しい動きであっても出来るかできないかではなく、やってみようとするその行為とそれを心から楽しむこと」
そして自ずと訪れる変化を受け入れて、経験し乗り越えていくこと。
それを思いっきり人目を気にせずできる”場”があることが誰にでも必要で重要な事なのです。マットの上での小さな経験が其々の人生に実は大きく影響し合っているのです。
まさにそれが「ヨガ」なのかなぁとまだ未熟ながらに以前より少し実感出来るようになってきました。
そんな事を実感させてもらえているのも、私のクラスに出逢いに来て下さるみなさんの変化や言葉を一緒に経験させてもらっているお陰です。
「出逢ってくださってありがとうございます」
今思うと私の小さい頃の辛い想いなんて「小さな」経験だったのかもしれませんが、それがとるにたらないことだと言える人は居ません。なぜなら、その経験と向き合い乗り越えることが出来るのは本人しか居ないからです。
親やパートナー、友達や恋人…どんな人もその本人に代わることは出来ないからです。
そう考えると人はとても孤独の様にも見えますが、それも決して違うのだと思います。
ここに居るという事実だけで既に一人では出来ない、繋がりがなければ私たちは産まれてくることも出来なかったからです。
なんだかものすごく当たり前のことを長々と書いてしまいましたが、実は最近わたしの身の周りで多くの現実に触れさせて頂く中でこんな気持ちが今まで以上に強くなっていることに気がついたのです。
ROOTS YOGA KAMAKURAのクラスの内容はとっても地味で難しいポーズなどの練習は今はしていませんが最後にいつも頭を下げる時間をもっています。
「私たちを産んでくれた、今回の人生を経験させてくれたお母さん、お父さんに心の中で感謝を伝えて…」
数人の生徒さんから最初はこの言葉に抵抗がありました、、とか、なんでこんな事を毎回言うのだろうとか思っていました。という率直で正直な意見を頂いた事があります。
そんな私自身も最初に私の先生から教わった時にこの言葉を聞いて唱えたとき、正直な所こっ恥ずかしい様な小さな抵抗感があったのを覚えています。
しかし、今あらためて声を大きく伝えたい。
「お母さん、お父さん経験させてくれてありがとう」
読んで下さりありがとうございます。
クラスにご興味のある方はお気軽に体験レッスンにご参加下さいませ(^^)